遥かなる君の声
U K

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          12



 地を震わして どんっと弾けしは、何者の何ごとだったのか。ハッとし周囲を見回すと、どこもかしこも真っ白な霧に覆われて何も見えず、

  「蛭魔さん? 桜庭さん?」

 葉柱さんも、筧さんや健悟さんも。周囲にいた筈の皆さんの姿が消えていて、此処って何処なのかと一気に不安になった。宵闇の中だった筈なのにと思えば、白くて明るいのは助かったが、誰のお返事も返って来ない心細さを埋めるには、そのくらいでは足りなくて。ついつい自分を抱き締めようとして、きゅうと引き寄せた腕の中には、
「〜〜〜〜〜。」
「あ…カメちゃん。」
 小さな前足で上着の前の合わせへ軽く爪を立て、彼だけが居てくれたカメちゃんが“みぃみぃ”と呼びかけて来たのへハッとした。純白の仔猫の姿のまんま、その柔らかな温みでセナを励ましてくれる愛しい子。黒々と潤んだ瞳を見下ろし、独りじゃないことでちょっぴり落ち着けたので。もう少しゆっくりと辺りを見回し、観察してみる。
“…試練って何なんだろう。”
 此処はそういうのを試すところなんだろか。聖霊の筧さんの咒で飛ばされたのかなぁ。でも、皆であたっていた竈も椅子の代わりにしていた切り株も前のままなんだけど。霧の中から ちかちかと、何やら光るものが見えるのは。あちこちの地面に水晶の柱がお花みたいに咲いてたアレかな。だったら、此処もさっきまでいた“水晶の谷”のエリアの中だろうか。一体ここで何が起こるのかと、ドキドキしつつ、身をすくませながらも周囲を見回していると、

  ――― 風が吹いてか さぁ…っと流れた霧の向こうに。

 何か大きな影が見える。林や木立ちと呼ぶほどではなかったが、それでもところどころでは緑の梢が風に揺れてた。そういう樹影が見えるのかなとじっと目を凝らすと、それはそこから ゆうらりと動いて見せて。それと同時に、同じ方向からゴロゴロと野太く震える声もして。
「………ま、さか。」
 記憶の中には怖いものも沢山あって。先の騒動の時に襲い掛かって来た魔物には、骸骨に皮を張っただけの餓鬼のような顔にやはりガリガリの体をし、翼膜を広げて飛び掛かって来た手合いもいたし。そうそう、咒の習練にと蛭魔さんが召喚したものの中には、お城と同じくらいに大きかったドラゴンもいた。そういったのに比べれば、さほどに超常的な存在ではないのだろうが、それでも…滅多に鉢合わせもしないと思われるその相手。低く唸って間違いなくこちらを睨み据えている、琥珀の毛並みも撓やかな、サーベルタイガーの雄が一頭。長くて反った牙を剥き出し、姿勢を低め、爪を出した大きくて強そうな前足にバネを溜めて、疑う余地なくこちらを虎視眈々と狙っているではないか。
「ひぃぃ〜〜〜。」
 王城キングダムは寒い国だし、随分と古い時代から都市やら流通やらが発達してもいた大陸でもあったから、こういった種の猛獣は人里近くには滅多に現れない。向こうだって多勢の気配には敏感であろうし、そこへ加えて、この大陸ならではの“咒”での防御だってあったろうから。何だかよく分からないけれど団結力の強そうな、途轍もない規模の群れになぞ、余程に飢えでもしなければ近づかないというもので。そんなこんなで、つまりは…セナもこうまで大きな肉食獣には、これまで一度も出会ったことなぞない。絵本とか図録で見た姿しか知らなかったが、いざ向かい合うと、この存在感はどうだろうか。牙や顎、手足の大きさがそのまま、どれほどの剛力なのかを自然と思わせる、どうやら立派な成獣であるらしく、
「ど…どうしよう。」
 えとえと、追い払う咒なんてあったかな。話しかけても通じそうにない。何でだか、もう既に怒ってるみたいだし。炎…は焚き火があるのに、怖がってないし。剣とかは、怪我するだけでどうせ使えないからって持ってないし。何か召喚すればいいのかな。あ、でも此処って聖域だから、そういう咒は使えないんじゃ?

  ――― ぐぁるるるる………。

 鼻の頭に細かいしわを一杯刻んで、金色の眸を剥き出しにし、地にすれすれの下の方から舐め上げるようにこちらを睨む眼光の、何とも強く恐ろしいことか。怖くて怖くて堪らず、ぐるぐると考えて考えてが精一杯で。凍ったようになって動けない、そんなセナの懐ろから、
「…あっ!」
 彼もまたパニックを起こしたか、小さな仔猫のカメちゃんが王子様の手を振り切るように、すぽんと抜けて足元へと飛び降りた。不意なこととでドキリとしたが、そうだ、そのまま逃げてとセナは思った。いつものオオトカゲではなく、今はすばしっこい仔猫の姿だ。きっとあっと言う間に茂みへと逃れられよう。緊張から視線はあんまり動かせぬまま、そうと思った視野の中へ、ちょろりとお尻尾を振って立ってた小さな仔猫の後ろ姿へ、早く逃げてと心の中で叫んだのに。…次の瞬間、

  ――― パン、っと弾けて入れ替わったのが。

 ぶんっとその身の横合いへ、勢いつけて振って見せた剣の捌きようもそれは鋭い、なかなかに武々しき人物の、戦意に満ちた後ろ姿。しゃんと張った背中には、戦闘用の防御力の高い、よくよく鞣(なめ)してなめらかな、皮革のマントを翻し。肩や腕には、剣を通さぬ鋲を打った、黒光りする革の籠手。そして剣を握ったその右手には、見覚えのある革のグローブが嵌まっており、
“…えっ?”
 反射的に見やった自分の右手にあるのと、全く同じメダリオン。そう、その勇ましい武装に身を固めた人物こそは、

  「…ボクに、なったの?」

 何でまたと驚いて、胸が痛いほど締めつけられる。ああ、この子は自分を庇おうとして、楯になろうとして、そんな姿になったのだ。大きくて重厚な、なのに、きっと俊敏で背中なんか向けたら一瞬で飛び掛かられて組み敷かれるだろう、そんな恐ろしいサーベルタイガーの注意を、非武装のセナから自分の方へと寄せたくて、双方の間に、しかもそんないで立ちで立ちはだかって見せたのだ。

  ――― ぐぉるるるる………。

 威嚇かそれとも、もっとも逃げ切れぬタイミングを測っているのか。低く構えた姿勢を変えず、地響きのような唸り声ばかりを轟かせている大牙の野獣は、よくよく見れば…せいぜい人の大人と同じくらいの大きさだのに。そこが野生の迫力の厚みか、生命力に満たされし存在感というものか。どんな突飛な逃げ方をしても易々と捕まるだろうと思わせるだけの、行き場を塞いだ途轍もなく大きな存在に見えていて。自分が直に向かい合っていた間にはそんなことさえ考える余裕はなかったものの、今は…そう、何とかしなきゃと必死で頭の中を掻き回してる。咒は使える空間だから、自分でも何とか出来るかも。自分だけじゃあない。カメちゃんに怪我でもさせたら大変だもの。
“えとえっと…。”
 大きな力を出すのはまだ不安定で自信がないし。それに此処は聖域で、大地の気脈をアテには出来ない場所だから。
“そうだ、眠らせてしまおう。”
 一か八か。催眠の咒だったら、そんなに難しいことはないし、この大きな獣も傷つけずに済むだろうから…。

  《 〜〜〜〜〜。》

 気が逸るのを何とか抑えて、瞼を伏せると静かに念を練る。急がなきゃいけないけれど、焦ってはダメ。頭の芯を意識して、胸を張り、お腹の下に意識して力を込めて。ゆっくりと呼吸をし、心の中で咒詞を唱える。どうか大地よ、力を貸して。傷つけたくはないから、眠ってくれるように。気が立っているの、宥めて静かに。印を思い出し、右手を体の前で左右にささっと流すように動かしたその途端、

  ――― しゃっっ!!

 ぐるる…と唸っていた同じ喉から、不意に声音が塗り変わり。鋭い擦過音とでもいうのだろうか、気合い代わりにその息を吹き出したような、そんな息遣いがしたと同時、真正面にあった大きな影が、瞬発力も素晴らしく、大きな存在感そのままにガバッと動いた。セナ王子の手の動きを、攻撃を仕掛けるための仕草とでも思ったか。そして、
「ひゃっっ!」
 情けないことながら、でも、やっぱり怖くて。まるで剥き身の刃のような、どこに触れても切り裂かれそうな迫力と恐怖とから身が凍ったし、息が喉元でひゅうっと詰まって、そのまま止まりそうにもなったほど。そんなセナのすぐ前へ、

  ――― がしゃり、ぎゃりりんんっっ!と。

 鋼の剣が生身の牙を受け止めている。その身を横へとすべらせて一歩。小さな体と、両手で握って構えた剣とで、セナの前へと立ちはだかって、凶暴な野獣から主人を守ろうとする人がいる。
“…カメちゃん。”
 ああ、いつもこうだった。進さんも、蛭魔さんや桜庭さんも、葉柱さんも。自分を庇って盾になってくれた。少なからず負うかも知れない怪我をも恐れず、間違いなく敵意を孕んだ、それはそれは恐ろしい凶刃の前に立ってくれた人たち。だが、自分はそんな価値がある存在か? 陽の光を束ねることが出来るというが、それを放てるだけの底力が自分には果たしてあるのだろうか。この人たちに守ってもらえるだけの、そんな価値のある存在だろうか?

  「………いや、だ。」

 逃げたくはない。でも、在るだけで、居る限り、闇の眷属は自分を狙う。負の存在を滅ぼす力を持っているから、ただそれだけの理由で狙われるし、襲われもするだろう。居るだけで集まる敵意を、どうして自分で…この手で打ち払えない?
「ぎゃうっ、がはぁっ!!」
 刃に遮られた先制の攻撃を、一旦は見切ったか、少し飛びのき、身を離して。再びの跳躍を繰り出すための、バネをためる態勢へと、もう一度身構えたサーベルタイガーであり、王子に変化
へんげしたカメちゃんも、腰を下げると身構え直す。自分がこんな、武道を披露したところなんてカメちゃんが見ていたはずはなく。その構えにはどこか、あの人の陰が見え隠れしてもいて。守っていただいた背中の何と頼もしかったことかを思い出せば、その方が今はどうなったかまでもが一気に胸へと去来して、

  “もう、誰も傷つかないで…っ。”

 胸へと引き上げた右手には、その人から贈られた大切なメダリオン。上から包み込んだ左手で、ぎゅうと握って念を込める。もうもう誰も傷つけ合わないで。そうまで我を忘れたままで、敵意を剥かないで…ぶつかり合わないで、と。祈るように叫ぶように念じた瞬間に、


   ――― ………っっ!!


 攻勢は一瞬。それこそ、形が、質量が、あったんじゃあなかろうかというほどもの強烈な光が。セナの小さな総身を包んだ輪郭から、周囲一帯を一瞬で覆い尽くしてほとばしった。立ち木や岩陰、路傍の石ころに水晶柱。物の裏側まではみ出し食い入り、輪郭さえ飲み込むほどもの、大量で目映い、力強い閃光は。それが届いた範囲の全部を制覇し、そこに居た者たちは全てが平伏し。凶悪な牙を剥いていた存在は、後込みしながら怯んだそのまま、自分の陰さえ忘れたかのような勢いで、あっと言う間にどこぞかへと駆け去ってしまい。真っ白に叩かれて何もかもが消えたも同然と化した世界は、その光がふっと掻き消えた次の瞬間、なかった分まで埋めるように、若しくは、目が眩んだ直後のような暗黒を一瞬 齎
もたらしてから、何事もなかったかのように…元の安寧、静けさを取り戻し。あれほどの緊迫感もどこへやらと、竈の焚き火が弾ける音にようやく気を取り直し、ご主人様へと振り向いた小さな剣士は、だが、

  「カメちゃんの馬鹿っ!」

 なんで逃げなかったのっ! 噛み付かれてたらどうしたの? それも…ボクみたいな弱い子に化けたりして。強い人になっては相手から避けられるって思ったの? やっぱり手頃なボクを狙うだろうって思ったの?
「きゅうぅ〜?」
 怖いトラさんは追い払えたのに、どうしたの? そんなお顔で小首を傾げる相手へと、

  「カメちゃんが、ボクなんかの楯になることはないんだっ。」

 足がすくむほど怖かったからと、そこは正直にあふれかかる涙も、叱咤の勢いで何とか食い止めて。まだ自分と瓜二つの姿をしたままな、カメちゃんの二の腕を掴んで、君が取った行動はいけないことだぞと叱っている公主様。そんなところへ、

  「ちびっ!」
  「セナくんっ!」
  「無事だったかっ!」

 背後のすぐ近間からの声がして。え?と肩越し、そちらを向けば。それこそさっきまで居た宵の渓谷。漆黒の夜陰を背景に、竈を囲んで座してた皆様。ただちょっと、セナが覚えていたのとちょこっとだけ様相が違うのは…皆様、揃って立ち上がっておいでであり。畏れ多くも聖霊様に向け、今にも殴り掛かりそうになっていた蛭魔さんと、それへと制止せんとばかりに掴み掛かってた桜庭さん。そして、そんな蛭魔さんから逃げるつもりはなかったらしき筧さんに成り代わり、大きな手を広げて二人の間に割り込ませ、拳を受け止めようとしていた健悟さんと、その大きな肩へ掴み掛かってた葉柱さんという、一触即発、そっちも修羅場だったらしき瞬間の図が、眼前へと現れたものだから、

  「な…、喧嘩なんて辞めて下さいようっ!」

 好きな人が痛い想いをしたりするのは、もう沢山だと。ぎりぎり堪えていたものが、とうとうこの光景で弾みがついたらしくって。ふにゃりと目許・口許が引き歪んだのへ、
「あっ。」
「セ、セナくんっ?」
「だ〜〜〜っ、泣くなっ!」
 お兄さんたちがあたふたと、慌てふためいたのは言うまでもなくて。後から聞いたところによれば、こちらさんでは…筧さんが試練とやらを仕掛けてから、何と1分ほども時間は経っておらず。突然“消えた”セナ様を、きさま一体どこへやったと、それは素晴らしい反射にて、まずは蛭魔さんが有無をも言わさず突っ掛かり。状況が判ってた健悟さんが割って入ろうとしていたのへは、葉柱さんが加勢がてらに掴み掛かりかけており。その一方で、桜庭さんが制止をかけてた、正に今にももみくちゃになりかけていた そんな一瞬だったのだそうで。いやはや、確かに“こんな時”ではあれ、やっぱり過保護には違いないて、あんたたち。







            ◇



「戻って来て いきなり怖い想いさせてごめんって。ほら…もう泣かないの。」
 もみくちゃになりかけていたお兄さんたちの中にあっては、事態収拾にってことから一番に制しようとしていたのにね。適役だからというだけで、大人げなかったお兄さんたち代表で、桜庭さんがそぉっと抱きしめ“いい子いい子”と肩を撫で、震える心まで届けと謝りながら小さな公主様を宥めていると、

  「あなたがちょっぴり臆病なのは、小さき者の声までも聞く身であるが故。」

 筧さんがそんなお声をかけて来た。繊細でなければ見過ごしてしまう、気づかずに通り過ぎてしまうかも知れぬほどもの小さき者たちへも、心砕ける身だからこそで、
「繊細が過ぎるだけのことだからであり、そして、だからこそ、普通の臆病な人よりも勇気を振り絞るのがひどく苦痛なこととなる。」
 怖いと感じて身がすくむ。恐ろしい目に遭ったことは何度もあったのに一向に慣れないままであり、勇ましくもなれないまま。そして…それさえ負い目に感じてる。だが、それは…人一倍敏感だから、広く色々と思ってしまう繊細さを持っているからだと、黒髪の聖霊は言い、普通一般の者が克服するよりももっと大変なことですと付け足してから、

  「あなたの臆病さは、でも、
   その場しのぎの誤魔化しだとか、逃げることだけは絶対に選ばないでしょう?」

 背中を向けての撤退が必ずしもいけないことだとは言わない。損失ばかりしか見いだせないと、このままでは皆を苦しめるばかりであると、見切る英断もまた勇気。そう、そこにもまた“臆病”という言葉は存在しないことであり。
「臆病なのと、鮮やかな大胆さ…とは、なかなか同時に相成り立てぬこととて、それは仕方がないのですよ?」
 筧があらためての言を授けて。
“…そんなだから、金のカナリアは過ぎるほどに偉そうなんだろか。”
 こらこら葉柱さんたら。焚き火に薪をくべる素振りの陰で、そんな即妙なことを思わない。
(笑)
「誰かを悪者に仕立てて怒ることも、何かを切り捨てる英断も出来ない。先程挙げた“強さ”には相反すること、優しさというよりは“弱さ”ですが、それをそうだと自覚している。弱いがゆえの苦しみを、今は享受し、それで強くなろうとしている。」
 他人の痛みや悔しさから目を離せないし忘れることが出来ない。自分を庇った子を叱咤しながら、そうさせた自分を責めてもいたセナ。結果オーライで“良かった良かった・ありがとう”では済まないことだと。自分が強ければこんな運びにはならなかった。そうと思えばこその、叱咤が飛び出したセナであること。彼を送り出した“夢幻空間”にての試練の顛末、そうと運んだ、そうと選んだセナの行動を確かめた聖霊様であるらしく、
「覚悟を決めよというのは、そこへです。」
「…え?」
 まだどこか頼りないお顔をしたままのセナへ、筧は言い切った。
「戸惑う時や心が震えて揺らぐ時は、立ち止まってでもいいから思い出しなさい。歩き出した時の決意を。勇気を振り絞って踏み出した、その行動の礎となったものが何だったのかを。」
「あ…。」
 ああ、そうだった。蛭魔さんにも言われたことだ。腹を括って覚悟を決めなさいと。進さんを助け出すんだ取り戻すんだと強く決意したこと、自分だけ安全なところにいて人任せにしたくはなかったからと、この旅について来たことを忘れなさんなと。それと…すぐさま何でも出来るようになるものじゃあないから、今は何かと辛いかもしれないが。力不足な自分から眸を逸らさず、いっそ思う存分苦しめばいいと、胸が潰れそうな辛さもまた、自分を鍛える試練だと思いなさいと。そんな風に言って下さったのは、つい昨日のことじゃあなかったか。
「………。」
 そうやって思い出せたことが、セナの瞳に張りを、表情に力を与える。自信の光、自負による強靭さ。少しずつ少しずつ、そう、例えばさっきの“試練”の最中、少なくとも震えからの思考停止にはならなかった。少なくとも、体が固まって動けないままという顛末には至らなかったから。守りたい人、守りたいもの。それを思い出し、そして、強く念じなきゃって思考が動いた。やるべきことへと心が動いて働いた。もしかしたらちょっとだけ、皆さんに比べるのも滸
おこがましいほどの僅かだけながら、強くなれた自分なのかも?
“…いや、やっぱり滸がましいことだけど。////////
 彼の中に灯りし、そんな自負の気配を見つけたからか、
「まだ少し、今少し、武器を負うには危なっかしい方ではありますが、がむしゃら・しゃにむなものであれ、観念だけに留まらず、実際に踏み出せた勇気というものの大きさは馬鹿にならないものですからね。」
 くすすと柔らかく、ほほえましいと笑った筧さん。そのまま、その手を延ばした先は、なんと…お仲間、水精の健悟さんの胸元、懐ろで。濃紺の上着のボタンが並ぶ前立てのところ、形の綺麗な大振りの手が近づくと、ふっと…そこに現れたのが真っ黒な穴。

  ――― え?

 ポカリと空いたという感じではなく、黒っぽい霧か靄のようなぼやぼやした何かが現れて。だが、そこってやはり、健悟さんの胸板の真ん中。特に身をすくませても避けてもいないままなのに、そこへと沈んだ聖霊様の手。

  「な…っ!」

 何してんのっと、皆して…オオトカゲに戻ったカメちゃん含むで思わず後ずさりかかっていると、何とも無造作に入った同じ手がするりと出て来て…そこに収まっていたのが、

  「これが“アクア・クリスタル”ですよ。」

 一口に言えば、一種のオーブ。ビリヤードのボールくらいの大きさだろうか、球状の結晶体の中に雪の結晶のような何かが見える。クジャクの羽みたいな枝が中心から四方八方へと伸びた、そんな鮮やかな青い光がちかちかと瞬いていて、
「さあ。」
 どうぞと差し伸べられて、怖ず怖ずと手を出したセナの小さな手の上で。肌へと触れるか触れない程度の高さに浮かび、静かに安定して収まっているものの、
「………。」
 セナがついつい見やったのが、これを出したところの誰かさんの胸元。今はもう、元通り、何ともないお洋服に戻っていて。怪訝そうな視線に気づいたか、
「…ああ、心配は要らないよ。別に俺の魂だとかいう代物じゃあない。」
 ただ預かってただけだからと、くすすと笑って、
「それは厳密に言って“物質”ではないからね。もう公主様のものになったから、あなたが望めばその手の中にだって吸い込まれて収まるし、出て来いと望めば再び出て来る。」
 試してご覧と促され、でも。


   「〜〜〜〜〜〜〜。」


 セナ王子が少々ためらったのは、言うまでもなかったりするのであった。






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  *今回は、何とか大きく進んだようですね。